過去のコラム 2004年2月3〜7日

2004年2月7日

 NEW YORK, NEW YORK

最近どうも日本食ばかり食べている。きのうも夜にお鮨と刺身をお土産でいただいたので、夜遅くではあるがありがたく頂戴した。マンハッタンのきちんとしたお店だから、日本人の板前が作っておりこういう店の鮨は概して美味い。

日本食レストランのことを、ニューヨークの日本人は「ジャパレス」と呼ぶ。勿論、JAPANESE RESTAURANT の略なのだが、アメリカ人には通じない。だから日本人にだけ通用する和製英語である。恐らく他の地域、あるいは国でも、日本人は和食のお店をこう呼んでいるのではないかと推測されるが、いかがであろうか。

ニューヨークにはまた「グラセン」という言葉もある。これはイーストサイドにあるGRAND CENTRAL駅の略称である。しかしこれも日本人限定で、他の人々には通じない。「ワートレ」というのがあったが、これはWORLD TRADE CENTERの略であり、今ではもう存在しない。こういうへんてこりんな略し方をするのは日本人だけなのでだろうか。多分、そんな事は無いはずだ。いろんな国の人々が集まっているのだから、お国ならではの略し方があるかもしれない。そういうのを集めてみるとまた面白いだろう。

でも地名となっている「ソーホー」だって、そもそもSouth of Houstonを略したものである。だから「ノーホー」だってあるのだ。ちなみにHoustonは、ヒューストンではなくハウストンと呼ぶ。また「ノリータ」というのもお聞きになった事があるだろう。"NoLIta" つまり North of Little Italyである。

イニシャルだけにしてしまうのは常套手段であり、"GWB"は、George Washington Bridge という橋の名前の事だ。また"DUMBO"というのもあって、これはディズニーのキャラクターではなくてDown Under the Manhattan Bridge Overpassの略だ。マンハッタンの対岸にあるブルックリンの一地区で、近年開発が進み人気スポットとなっている。だから省略は決して日本人の専売特許ではない。

しかし今日は、こんな話をしたいのではなかった。ニューヨーク・ニックスの話である。アイゼア・トーマスが球団代表兼GMに就任して以来、ニックスには追い風が吹いている。そして今週の"ESPN THE MAGAZINE"の表紙は、アイゼアと彼がトレードで獲得したステファン・マーブリーであった。その話をするつもりが途中で(というか、最初から)わき道にそれてしまっていた。という訳で、ニックスの話はまた明日にでもすることにしよう。


 

2004年2月6日

 一杯の牛めし

豚から鳥インフルエンザ検出、というニュースをやっていた。また人間のあいだで流行しているインフルエンザウイルスも、鳥から豚、そして人間へとうつってきたと考えられているらしい。それは「豚インフルエンザ」とは呼ばないのか。

しかし本当に、日本では牛丼が無くなっているんだ。関連記事

そういえば学生時代、よく利用していたのは駅前にある「松屋」だった。ここは正確には「牛めし」なのだろうが、吉野家と違う点は味噌汁がセットについてくるところだった。味的には、今は知らないが、当時は吉野家より落ちたと思う。だが私は、この味噌汁つきというのに惹かれてよく松屋に通っていた。

ある時、所持金が底をついてしまった事があった。たぶん飲んでしまったのだろう。バイト代もしばらくは入らず、そうなると実家からの仕送りを待つしかない。だがお金が振り込まれる月末までまだ4日間あった。学校に行けば、友達にお金を借りることが可能だが、この時は定期券も切れていた。つまり完全に身動きを封じられてしまったわけだ。

従ってその4日間、殆ど何も食べない生活が続いた。何か食べないとさすがに耐え切れず、冷蔵庫の中を漁ってみたらカレールーと、そして玉ねぎが1個だけ残っていた。早速肉抜きカレーを作って食べた。ご飯はなし。ご飯が無く、肉も無いカレーなど食えるものではない。不味くて殆ど捨ててしまった。

そしてようやくお金が入った日、ATMでお金を下ろしてすぐに「松屋」に走り、牛めし(並)を注文した。4日間の準飢餓状態において食べる牛めしは、殺人的な美味さだった。殆ど吠えるように食べまくったのを覚えている。


2004年2月5日

 詰むや詰まざるや[過去のコラム]

落語家の話ばかり書いているので、落語が好きでしょっちゅう聴いているのか、などと思われているかかも知れないが、そんな事は無い。好きになる落語家はそう多くない。ましてや、実際にお金を払って聴きたい、という噺家など本当に限られてしまう。外国に住んでいるから寄席に行くという機会はむろん無いが、CDやDVDを買いたい、聴いて見たい落語家でさえもかなり限定される。

逆に言えば、いまの落語家はもう死んでしまった、桂文楽や、初代春団治から古今亭志ん朝(のテープ)とも勝負をしないといけないのだから大変だ。もし生で落語会に行くより、テープの中で生き続ける名人たちを自宅で聴く方がいいと思われたら、商売あがったりである。もちろん、ライブの魅力というのは捨てがたいのも確かであるが…

こういう現象は、スポーツにはあまり無いだろう。生でA-Rodを見るより、ビデオの中のオジー・スミスを見ているほうが楽しい、という人はごく少数のはずだ。

昭和の名人、六代目三遊亭円生は生前も、そして実は死後も殆ど聞いていない。一度TBSの「落語特選会」で見たときに、その所作がなんとなく白々しく感じられて、それ以来敬遠してきた。しかし生前、彼が残した膨大な落語レコード制作に携わった、京須偕充の「円生の録音室」(中公文庫)を読んで、この落語家のことがすっかり好きになってしまった。著者は作家では無いが文章が上手く、出てくる登場人物の描き方が際立っている。今まで円生を敬遠してきた私でさえも、今度帰国の折には「円生百席」を聴いて見たい、と思わせるだけの魅力溢れる書き方で、円生の人となりを語っているのである。

「円生の録音室」は他人から見た噺家の物語だが、噺家自身が書いた(語った)芸談も面白い。落語の修業というものが孤独な作業であり、人を笑わせるという仕事でありながら、内面では激しい闘志を燃やしていることが判る。古今亭志ん生の「なめくじ艦隊」なんて読んでいると、なにか格闘家の話を聞いているような錯覚に陥ってくる。だから私は落語が、落語家が好きなのだ。もうひとついうと、落語は活字になったものを読むのも面白いのだが、これはまた別の機会に語る。

囲碁・将棋も面白い。私自身は将棋は指すものの、囲碁は殆どわからない。だが囲碁の世界の話を聴く事は面白い。将棋のほうは多少は(ほんとちょっとだけだが)判るので、こちらはもっと楽しい。米長邦雄と藤沢秀行が対談した「勝負の極北」(クレスト社、1997年)に、羽生善治名人の話が書いてあった。

米長は、江戸時代に作られた詰将棋集「詰むや詰まざるや」を、全問自力で解くよう若い棋士にアドバイスした。だが一部の若手棋士はこれに反発したという。この「詰むや詰まざるや」には、とても難解な問題ばかり揃っており、実戦では殆ど起きないような局面ばかり出ている。こんなものを解くより、最新の棋譜を研究したほうがてっとり早く強くなれるのではないか。

だが若き日の羽生は、この難解な詰将棋に真正面から取り組んだ。そしてある日米長に言ったという。「先生、あの詰め将棋を解くと言うのは、毎日毎日将棋のことを考える時間を作って、そして将棋に対する情熱を燃やしつづけることに意味があるんですね」。羽生は18、19歳の頃に、既にその事に気づいていたという。一見無意味に思える、プロでも投げ出したくなるような超難問と全力で格闘する、必死になって自分の力だけで取り組み続ける作業を毎日続けるうちに、自然に実力はついていくのだと。

(文中敬称略)


2004年2月4日 掲示板の管理人

私がウェブサイトで、掲示板の管理人をはじめてもう5年以上の月日が経過した。掲示板の管理人というのは、何時も思うがスナックのマスターに似ている。マスターのキャラというものが、その店の性格を決めていく。スナックなんて、どの店も出すものは大して変わらない。

これが寿司屋ならば、ネタの仕入れとか、仕込みなどいろんな部分が違うと思っていたのだが、東京のある著名な老舗の鮨屋の主人に言わせると、一流の鮨屋になるともうネタとかの差はなく、あとはカウンターで鮨を握り、客の相手をするところが違ってくるだけなのだという。そうすると、鮨屋もやはり接客が重要な部分を担っているのであろうか。

さて、掲示板というのは本当にたくさんあるのだが、私から見て管理人には多く以下のタイプに分かれる。

1.リーダー型

2.旅館の主人型

3.黒子型

4.独白型

5.新米教師型

6.参加者の一人型

7.放置型

リーダー型管理人は常連さんの面倒見がよく、掲示板はコミュニティとして形成されていく。管理人自ら旺盛な書き込み意欲を持っており、どんどん書き込んで掲示板上の世論誘導を行う人が多い。またこういう掲示板には「ポリスマン」タイプの常連が存在する。つまり初心者でちょっとピント外れな書き込みをしたり、あるいは投稿者同士でトラブルが起きそうなときに、管理人を煩わせず一切を取り仕切るのである。「ポリスマン」がいると管理人は楽だ。ただあまりに常連の力が強く、コミュニティ内のみ通用するネタが主流を占めるようになると、一見さんが入りにくくなっていくのは現実のお店と同じである。

旅館の主人型は、新しい人が来ると手厚いもてなしで快く迎えることをよしとしている。そして書き込みにも丁寧にレスを返し、来てくれた人が不快な思いをしない事を旨としている。たとえ自分と意見が食い違っていても、管理人自ら反論したり、怒るようなことは殆どない。従ってこういう掲示板は繁盛するが、管理人のストレスはけっこう溜まっているであろう。だからと言って、逆上して削除の嵐…という事も、勇気が無くて出来ないのが辛いところだ。

黒子型はその名の通り、普段はほとんど掲示板に書き込みしない。ぱっと見ただけでは、一体誰が管理人なのか判らないようになっている。荒らしや誹謗中傷が書き込まれれば削除するが、ただ粛々と削除するだけだ。そしてこの管理人は「うちの掲示板は、私が書き込みしなくてもこんなに繁盛しているんだ」と言うことを、暗黙の内に誇示するのである。

独白型は、あまり書き込みがないので、ほとんど自分で書いているだけの板だ。たまに優しい人がいて、管理人の愚痴にも付き合ってあげるのだが、誰か他の人が来たら私も解放されるのに…と、この管理人と親しくなった事をやや後悔している。管理人は新しい人が来たら嬉しいくせに、あまり露骨に喜ぶのがシャクなのでちょっと冷たい対応をして、その結果新しい常連予備軍を失う事が多い。

新米教師型は、若い女の子に多い。そのウェブサイト(たとえば好きな映画俳優について)のテーマが好きなんだけど知識量自体は少なく、むしろ常連さんのほうが詳しかったりする。またこういうタイプは概してネットの経験も少なく、常連さんが盛り上げ、励まし、適切なアドバイスを与えてようやくコミュニティが成立する。でも嫌味が無い分良い。この常連たちも、また一種の「ポリスマン」という存在かも知れない。

参加者の一人型は、友達タイプと置き換えても良いだろう。投稿者の年齢が近く、また本人にも管理人という意識は薄い。だから普通に書き込みをしている。これも黒子型とは違った意味で、誰が管理人なのかわからない。みなタメ口で書いているのが特徴。サイト自体にも特にテーマが無かったりする。

放置型…は管理人とは言えないかもしれない。しかし個人的には、こういうほったらかしサイトを見るのが一番スキかも知れない。

他にもいろいろタイプがあると思いますが、今日はここまで。


2004年2月3日

 Hoosiers

どこにも何の告知もしていないのに、早速掲示板に書き込みをしていただいたり、またご自分のホームページでこのサイトが再開した旨お知らせして頂いているのを見ると、実に嬉しくありがたくのと同時に、なんだか申し訳無い気がして来る。それと、前の掲示板はロム専門の方が非常に多かったようで、まさかこの人が、と言う人にも「何時になったら再開するんですか」と言われ、大変恐縮する事が多い1月であった。この場を借りて皆様にお礼と、そしてお詫びを述べたいと思う。

さて、シーズンチケット3の方で、Corleoneさんが私との縁について述べてくださっている。その通りで、私たちはインディアナ州という、アメリカの中西部にある州の、ブルーミントンという町で知り合った。インディアナ州自体全般的に田舎であり、州都であるインディアナポリスを一歩後にすると、あとは延々と何もない田舎町が続く。ブルーミントンは、インディアナポリスから車で1時間ほど南に行ったところにある、人口5万人程度(確か)の小さな町である。

インディアナ州は、俗に「フージャー・ステート」Hoosier Stateと呼ばれる。インディアナ大学のスポーツ・チームのニックネームは「フージャーズ」だ。「フーターズ」ではないから念のため。またインディアナ州の人々は、自分のことを誇りを込めて「フージャー」と呼ぶ。ではこの「フージャー」とは一体どういう意味か、何が語源・由来なのか。諸説あるが、決定的なものはいまひとつ判らないらしい。1830年頃には、既に一般的な言葉として使用されていたようである。ただこの「フージャー」という言葉自体を知らないアメリカ人は、そうそういない筈だ(多分)。

またブルーミントンという町自体、アメリカの中でもけっこう有名らしい。NYに来てから、「前はどこに住んでいた?」と聞かれて「インディアナ」と答えると、その人は驚いて「インディアナ?インディアナポリスか」と言うので「いや、ブルーミントンだ」と答えると大笑いされた。何がおかしいの?と聞くと「いやまさかインディアナ州、しかもブルーミントンみたいなところに日本人が住んでいるなんて想像もつかなったんだよ」と答えていた。その人は言わば典型的なニューヨーカーであり、恐らくブルーミントンの名を知ってはいても、訪れたことはないのだろう。実際にはブルーミントンに限らずインディアナ、いや中西部全域に、日本人はけっこう住んでいるのである。

またこの州からは、意外なほど多くの有名人が出ている。最も有名なのは「エデンの東」のジェームス・ディーンであろう。また「荒野の七人」「ブリット」のスティーブ・マックィーンや、いま話題の人マイケル・ジャクソンもインディアナで生まれたそうだ。加えて歌手のジョン・メレンキャンプや、CBSの人気番組「レイトショウ」の司会者デービッド・レターマンもインディアナ出身者。スポーツ界ではヤンキースの元スター選手、ドン・マッティングリーもそうだが、インディアナで最も有名なスポーツ界の人といえば、インディアナ出身ではないボブ・ナイトであった。だがナイトのことは、また特に取り上げる機会があるだろう。

さてインディアナのスポーツといえば、なんと言っても「インディアナポリス500マイルレース」俗に言うインディ500で世界的に有名である。毎年5月の最終日曜日、メモリアル・ウィークエンドに行われるこのインディ500マイルには、全米各地や海外から40万人近い観衆が押し寄せてくる。F1モナコGP、ル・マン24時間レース、そしてインディ500が世界3大レースといわれているだけに、まさにフージャー達の誇りとも言うべき祭典なのだ。私自身、ブルーミントンに到着してから最初の週末は、このインディ500が開催されるインディアナポリス・モータースピードウェイに早速出かけたものである。

また5月には、「リトル500」という自転車レースがインディアナ大学でも開催される。このレースを描いた映画「ヤング・ゼネレーション」Breaking Away(1979年)は、青春映画の傑作である。

話をインディ500に戻すと、モータースピードウェイは、基本的にインディ500を開催する為のレース場である。最近ではNASCARの「ブリックヤード400」、また2000年に復活したF1アメリカGPの会場として使用されるようになったのだが、やはりこのサーキットはインディカーが走るのが一番似合う。ただ私が訪問した際にはレースは開催しておらず、併設の博物館を見学して、そしてバスでコースを1周する事しか出来なかった。それでもモータースポーツ好きとしては、アメリカン・オートレーシングの聖地を訪れたということだけで充分に満足であった。そして私のような人間はけっこういると見えて、その日も見学者は相当数いた。

筆者がインディアナに生活していたのはわずか1年半に過ぎないのだが、それでもインディアナの話をしだすと止まらない。とりあえず今日はこれまで。この続きのようなものは、また日を改めて書くことにしよう。

(文中一部敬称略)